3000の質問に答えるブログ

”わたし”についての3000の質問にひとつずつ答えるブログです。

日本の察する文化は本当に美徳なのでしょうか?

 

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What do you consider the most overrated virtue? 

 

6番目は、「過大評価されている美徳とはなんだと思いますか?」という質問です。

 

日本人の美徳とは、と聞かれると、勤勉であることとか、正直であること、几帳面で仕事が正確であること、などが挙げられますね。  

 

アメリカに住んでいると、日本人だというだけで良い待遇をしてもらえることがあります。  私は、日本人は金銭的にもきちんとしているし、人のものは大事に使うから、という理由ですぐに部屋を借りることが出来た経験が何度もあります。  日本人だと言っただけで、大学の教授に高く評価されたことすらあります。  

 

戦争中に敵国の人々の血を引いているというだけで、アメリカで生まれ育った人でありながら、大勢の日系人が強制収容キャンプに入れられたり、悪口を言われたりした過去があるというのに、そんなことはすっかり忘れて、日本人は高く評価されています。  それは私たちの前にアメリカで生活していた日本人が、日本人の美徳を守り、良い意味でのステレオタイプを持たれるようになったお陰です。

 

勤勉さとか几帳面さとか、そういう美徳は、日本人でなくても高く評価するし、そうあるべきだと考える人は多いと思います。  でももしかしたら日本人特有のものではないかなあと思うのが、個人よりも和を重んじるという考えです。  私の知っているアメリカ人で、みんなが円満にいられるなら、多少の不満も我慢して仲良くいられることの方を望むという人には会ったことがありません。  それはアメリカ人が完全な個人主義で、自分勝手なことをするという訳ではありません。  もちろん相手のことを尊重するし、みんなが仲良く円満にいられることを望むけど、自分の意見を主張して、衝突があればなんとかして解決しようと努力します。

 

日本の文化は、衝突することや、相手にネガティブな気持ちを持たせることを極度に嫌い、察することで和を乱すことを回避することに重きを置きますね。  でも最近はその察するということに重きを置き過ぎているような気がするのは、私だけでしょうか?

 

空気が読めない人

 

何年も前のことですが、初めてKYという言葉を聞いた時、娘のイニシャルと同じなので、つい笑ってしまいました。  「空気が読めない」、すごく日本人的な言い方ですね。 

 

場違いなことを言ってしまって、その場の雰囲気を悪くするのを恐れるのは誰でも感じることです。  それは日本人だけに限りません。  

 

みんなが悲しんでいる場面で、一人だけ浮かれた楽しい話をしていたら、悲しい人の気持ちがわからない、空気が読めない人、となってしまうでしょう。  誰でも事情が分かる時に、一人でおかしな態度をしていたら、それはその人が責められても仕方ありませんね。

 

でも何が起こっているのか事情を知らない時に、ちょっと場違いな言動をしてしまうと、空気が読めないとか、気が利かないと言われたら、それは無理なことを要求されているというものです。  そんな事を言われたら、悲しくなるか、腹が立つか、落ち込んでしまうかのどれかでしょう。  

 

こうやって仲間外れにされたと感じたり、自分は気が利かないんだろうか、と悩んでしまう人は多いのではないでしょうか?

 

察することには限界がある

 

最近よく「察する」という言葉を耳にします。  察するとは、相手の気持ちを想像することで、察して行動するということは、良かれと思って勝手に先回りして行動することです。  

 

夫婦や親子でも、察することには限界があります。  自分以外の人の気持ちを100%理解することはできないのです。  だから良かれと思って何かをしても、実は相手にとっては嬉しくないこともあるのです。  

 

私が時々やってしまう失敗は、ボランティアでお相手をしているお年寄りに、必要以上になんでも手助けしてしまうことです。  私としては良かれと思ってやっていることでも、実は相手の自立を妨げたり、楽しみを取り上げていることもあるのです。  

 

こういう失敗をしないためには、声をかけることが大切です。  お手伝いしましょうか、と一声かければ、必要ならば喜んでもらえるし、必要なければ結構ですと言われればそれで済むことです。 

 

察するよりも対話が大事

 

電車に乗っていた時のことです。  私は電車の中で立っていました。  すぐそばにお年寄りがいて、その人の前に座っていた男性が何も言わずに席を立ちました。  そして少し離れたところに立っていました。  その人はお年寄りに席を譲ったつもりだったのに、お年寄りは席につかずに立っていました。  すぐに降りるから座らなくても良いと思ったのかもしれません。  しばらくその席は空いたままでした。  結局他の人がさっと座ってしまいました。  

 

目の前のお年寄りを見て、年長の人には席を譲らなければ!と思ってその男性は席を譲ったのでしょう。  でもお年寄りには何か理由があって座ることはありませんでした。  もしその時に、男性が座りますか?と声をかけて、お年寄りが結構です、と答えていたら、男性の親切な気持ちも伝わったし、お年寄りも座らなかったにしても、男性の親切に感謝する気持ちを伝えることが出来たかもしれません。  でもお互いに何も言わずにいたので、その気持ちは伝わることがありませんでした。  もしかしたらその男性は、せっかく席を譲ってやったのに、それならずっと座っていればよかった!なんて思ったかもしれません。  

 

たった一言声をかけることで、お互いが良い気持ちになれたかもしれないのに、とても残念なことです。  良かれと思って何かしたいのだったら、まずは本当にそれが相手にとって良いことなのか、声をかけて確認することは、そんなに難しいことではないと思います。

 

多様化する社会で、察するだけではやっていけない 

 

最近は日本に来る外国人の数が増えて、世の中が多様化しているようです。  これからはいろんな価値観の人が交流するようになって、察することがますます難しい時代になるでしょう。

 

和を大切にするならば、なおさら相手を思いやって対話をすること、それから自分も望まないことをされないように、自分の気持ちを伝えることが重要なのではないでしょうか。  

 

 

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